
伝えたいこと




はじめまして。終活えんとらすと代表の山口聖子です。
ホームページをご覧いただきありがとうございます。
私が終活という言葉に出会ったのは2016年、書店に並んでいた本でした。
その時、脳裏に浮かんだのは、終活という言葉が生まれるずっと以前に、義母が生前に残してくれた一枚の写真と葬儀社のメモです。
おかげで、義母が亡くなった際、スムーズに事を運べたことを思い出し、改めて終活の必要性を感じました。
実家の母の パーキンソン病による突然の介護、そして父に癌が見つかり、
私は「死」をより身近に考えるようになりました。
両親と一緒に、これからどう生きていくか、どのような最期を迎えたいかを話し合い、一つひとつ形にしていきました。
しかし、両親のとの終活は失敗や後悔もありました。
両親ともに一切の延命を望まなかった同じ意志があったにもかかわらず、
最期は二人で異なってしまったこと。この経験から、
「だから元気じゃなきゃ終活は難しいんだ」ということに気づかされました。
「えんとらすと」には、
「大切なご縁や想いを託してつなぎ、安心して穏やかな人生のラストを迎えたい」
という願いを込めました。
終活コンシェルジュとして、多岐にわたる奥深い内容に常に向き合いながら、お客様の不安を解消し、前向きな一歩を踏み出すお手伝いをしています。



はじめまして。
終活えんとらすと代表の山口聖子です。
ホームページをご覧いただきありがとうございます。
私が終活という言葉に出会ったのは2016年、書店に並んでいた本でした。
その時、脳裏に浮かんだのは、終活という言葉が生まれるずっと以前に、義母が生前に残してくれた一枚の写真と葬儀社のメモです。おかげで、義母が亡くなった際、スムーズに事を運べたことを思い出し、改めて終活の必要性を感じました。
実家の母のパーキンソン病による突然の介護、そして父に癌が見つかり、私は「死」をより身近に考えるようになりました。両親と一緒に、これからどう生きていくか、どのような最期を迎えたいかを話し合い、一つひとつ形にしていきました。
しかし、両親のとの終活は失敗や後悔もありました。両親ともに一切の延命を望まなかった同じ意志があったにもかかわらず、最期は二人で異なってしまったこと。この経験から、「だから元気じゃなきゃ終活は難しいんだ」ということに気づかされました。
「えんとらすと」には、
「大切なご縁や想いを託してつなぎ、安心して穏やかな人生のラストを迎えたい」
という願いを込めました。
終活コンシェルジュとして、多岐にわたる奥深い内容に常に向き合いながら、お客様の不安を解消し、前向きな一歩を踏み出すお手伝いをしています。
これまでの歩み

2017
義母が生前、遺影と葬儀社のメモを残してくれていたことを思い出し、カウンセリングと終活を学ぶ。
2018
資格を取得直後に要支援2だった母が転倒骨折し、その日から突然の介護が始まる1カ月で要介護3、その後3カ月で要介護5になり怒涛の日々が続く。
2019
母の介護をしつつ、終活講師を務め、父の肺がんの手術などに立ち会う。
2020
夫のがん発覚 / 母の施設入所
2022
オリジナルエンディングノートを使いながらの講座や相談を中心に活動再開。体験談や失敗談を交えながら、嫁、妻、娘、親としての立場で伝える。
2023
両親の看取り。
2024
両親の死後事務、遺品整理などでの多くのご縁と学びを活かして終活相談に対応し、サポートを続けている。


活動実績
・地元の有志プライベートイベント『metime』に呼ばれ、『初めての終活』をレクチャー
・稲城市第二公民館主催『シニアライフ』の知っておきたい終活の知識を講義
・稲城市教育委員会生涯学習課にて『エンディングノートの書き方』や『終活ガイド検定』の講師
・世田谷区砧総合支所にて無料終活セミ ナーを定期的に開催
・地元町内会で終活講座、エンディングノート書き方講座の講師
・仲間とのコラボセミナーやイベント主催
・個別相談及びセミナー回数:100回以上
活動実績

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地元の有志プライベートイベント『metime』に呼ばれ、『初めての終活』をレクチャー
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稲城市第二公民館主催『シニアライフ』の知っておきたい終活の知識を講義
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稲城市教育委員会生涯学習課にて『エンディングノートの書き方』や『終活ガイド検定』の講師
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世田谷区砧総合支所にて無料終活セミナーを定期的に開催
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地元町内会で終活講座、エンディングノート書き方講座の講師
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仲間とのコラボセミナーやイベント主催
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個別相談及びセミナー回数:100回以上




はじめまして。終活えんとらすと代表の山口聖子です。
ホームページをご覧いただきありがとうございます。
私が終活という言葉に出会ったのは2016年、書店に並んでいた本でした。
その時、脳裏に浮かんだのは、終活という言葉が生まれるずっと以前に、義母が生前に残してくれた一枚の写真と葬儀社のメモです。
そのおかげで、義母が亡くなった際、スムーズに事を運べたことを思い出し、改めて終活の必要性を感じました。
そんな時、実家の母のパーキンソン病による突然の介護、そして父に癌が見つかり、私は「死」をより身近に考えるようになりました。
両親と一緒に、これからどう生きていくか、どのような最期を迎えたいかを話し合い、一つひとつ形にしていきました。
しかし、その過程では失敗や後悔もありました。
両親ともに一切の延命を望まなかった同じ意志があったにもかかわらず、
最期は二人で異なってしまったこと。この経験から、
「だから元気じゃなきゃ終活は難しいんだ」ということに気づかされました。
「えんとらすと」には、「大切なご縁や想いを託してつなぎ、
安心して穏やかな人生のラストを迎えたい」という願いを込めました。
終活コンシェルジュとして、多岐にわたる奥深い内容に常に向き合いながら、お客様の不安を解消し、前向きな一歩を踏み出すお手伝いをしています。
